今年の7月末、中国の何(カ)氏という建築の研究者の方から、
「故種橋重次氏をテーマにした論文を書きたいので協力して欲しい」
という趣旨のメールを頂きました。
1990年代に種橋氏の作品を見て感銘を受けた何氏が、
私が種橋氏のもとでパースを学んだことをこのブログで知り、連絡を下さったのです
(日本に留学経験がおありで日本語で)。

ですが、種橋氏のことは私よりも柿沼建築設計事務所の柿沼氏の方がはるかによくご存知です。
お二人は建築家・高須賀晋氏の事務所に勤めておられたときからのお付合いですので。
早速、柿沼氏に連絡をとり対応をお願いしました(丸投げともいいます)。

私が手伝ったのは、9月に柿沼氏のお宅で行った何氏に送る作品の選定作業位です。

その際、種橋氏の奥様に提供していただいた
作品のコピーを見ながら、
当時の手描きパースが記録として残っていないことを痛感しました。
今は手描きでもスキャナーでとってメール提出のみという事が多いのですが、
昔のパースは設計事務所、建築主、広告代理店に納品してそれっきりです。
カラーコピーや素人の写真で残しても画質が悪く、原画の美しさは到底伝わりません。 

11月に柿沼氏を通して完成した論文のコピーが届きました(下の画像、タイトルのみ)。
漢字を追っていくと何となく意味が分るような気がします。
作品を残せなくてもこうして種橋氏の業績が伝えられるのはうれしい限りです。
種橋氏の奥様も喜んでおられました。

何 様
遅くなりましたがこの場で御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

2017.12.31

 

 

 

 


今日は種橋重土(種橋氏の陶芸家としての雅号)作の徳利とぐい呑みで一杯。

199712.31-2